ザキ

(雑記)

挑戦と模索

新しいことを、どうやら始めることになる。これまで経験のないものに手を出すが、身になれば今後その道でやっていけるかもしれない。期待と不安を背負って挑戦だ。それと同時に、今手を付けているものを今後どうするか。

ひとつは正直継続は難しいだろう。こちらが良くても、相手が潰れていく。となると、人材、器具、事務所の行き場を考えなくてはならない。事務所に関しては出来れば維持して、小さな音で音楽を楽しめる場所、絵画などの作品で個展などしたりできる場所として活用してみたい。たんに秘密基地でもいい。

もうひとつは時間帯を考えやはり継続したいが、そう都合よくいくものか。新しいことの時間配分が早めにわかればいいが。

三つ巴で全部だめ、といった状況は絶対に避ける。

 

2020/4/23 曇り

何かを積み上げてきた人と、何も積み上げてこなかった人の差を痛感しています。

 

 

4/8 0:00 緊急事態宣言発令

いろいろと宣言の内容や給付などの補償面でいろいろ言われておりますが、昨年の今頃からずっと緊急事態の会社をやりくりしているので、正直いつも通りの生活を送っていくつもり。仕事もする。

訪問した爺さんがおれにむかって「緊急事態宣言が遅すぎる!こんなに人が死んで、医療が大変なのに!安倍はほんとにどうしようもない!」といきり立っていた。マスクなし、1mくらいの距離で。「外出したら手洗いしてくださいね。」と言ったら「おれはその辺のバカとは鍛え方が違う!散々風に晒されてきた!スーパー行ってもマスクしないし、手も洗わない!」と言っていて「アウト~」と思った。安倍さんのこと、言える立場じゃないじゃん。

SNSをみていてもギスギスしてますね。コロナは人と人とを切り裂くウイルスなんて言われてますけども。終息しても、今までとはいろいろと違う世界が待っているかもしれない。義理、人情、風情、わびさびなどといったものはもう絶滅したのかな。

 

 

4/6 緊急事態宣言前夜

朝事務所に来てすぐに窓を開けて換気。缶チューハイを開けて青空を眺めながら飲む。そうすると眠くなって何もする気がなくなる。気が付くと夜。また酒を飲んで寝る。そうやって何日も過ごしている。与えられたものから解放されて、ようやく地に足がついた気がする。今日やろうと思っていたものを明日に伸ばして1年が経った。成長などしない。する気もない。何の意味もない歌を作って、自分の為だけに歌っていたい。鍵盤ハーモニカでラブミーテンダーが吹けるようになった。

先日、かみさんがタンスのシャツをきれいに整頓してくれた。タンスにしまっておいた心臓日記がskillkills-TシャツとBLACKSMOKER-Tシャツの間に挟んであって「やるじゃん」と思った。

以前、以後

COVID-19により予定していたライブを2本辞退した。両日とも楽しいこと間違いなしだったが、週を追うごと日を追うごとに悪化しているこの状況で、家族を持つものとしては当然の判断で、むしろ遅すぎたと思う。それまで尽力していただろう主催者のこと、これからより一層経営難に苦しむライブハウスのことを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。だけどやっぱり家族の安全には変えられない。出演辞退を申し入れた当日、件のライブハウスも当面のあいだ経営自粛を発表した。苦渋の決断、勇気ある決断だと思う。もう一方の企画の主催者は沈黙したままだ。いろいろな意見がある。余程傍迷惑でない限り、どれも尊重したい。

メンバー間でも意見のすれ違いから決定的な亀裂が入った。コロナは人体以外も引き裂く力を秘めていると思った。世の中が落ち着いたあと、我々がどうなっているかは分からないが、ぜったいに負けたくはない。

COVID-19

自粛自粛も良いけど、いつ収束するかわからない状況で、やりたいことをやれない・やらないのはどうなのかな。万全の対策をして、あとは運任せみたいなのも人間らしいとも個人的には思う。ただ、家族のことを思うと、それではダメなんでしょうね。

いろんな意見や憶測があって当然だしそれが健全だと思うけど、自分の意見を押し付けて相手の意図も聞かず、一方的に攻撃的になるのは怖い。特に、LINEやTwitterなど、文字だけでは真意が伝わりづらい部分もある。思いやりのない人は、誤解しやすいしされやすい。面と向かってるのは人。画面越しでも相手は同じ。

コロナの影響でバンドも危機的状況。前回いろいろ確認したうえで決めたハズだったけど、きっとあの日のアルコールが全部かき消してしまったのでしょう。さて、どうしたものか。

意味のない場所に意味を求めて

ライブハウスで初めてその存在を知って、演奏や歌を聴いて、感銘を受けてCDやカセットテープを買う。オーディエンス側としての興奮冷めやらず演者と会話をする。その後数日、ライブの余韻に浸り、CDのパッケージを剥がし、歌詞を見ながら音源を聴く。演奏や歌詞に込められた想いが響く。素晴らしい。その人を知って、その人が作った音楽を聴いて、知っているからこそ心に響くのかな。メジャーな音楽よりも、ずっとずっと心に響く。メジャーを否定するつもりは毛頭なく、メジャーな人々の友達や知り合いなんかもこういう気持ちなんだろうなと思う。ということは、商業的な音楽(アイドルやファンモン、ファンキー加藤は除く)なんて本当に一握りで、生活の一部に音楽はしっかりと存在しているのかも。やりたいことやりたいようにやろう。解放。自由。ライブハウスで出会う知人のおかげで、答えに少し近づいている気がする。

 

https://helmetsblues.jimdofree.com/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC/